どうせなら、理解しあえば

本日の夜は、大学の頃の友達とごはんを食べてきた。
仲良しの女の子なのだけども、社会人になって、わたしたちの間でわりと物事の考え方の違いが顕著になってきたなあという気がしている。


仕事で嫌なことや理不尽なことはつきものと思う。
それに関して、なんかこう、自分とその相手とで、理不尽さを若干は解消できるんじゃないか、というのが私の感覚。
どうしようもない人もいるにはいる。
視野が狭いなあとか、私とは全然物事の考え方が違う人なんやなあ、とか。
そういうことに関しては、まあ仕方ないと割り切って、じゃあその中で「私(や、他の人)が」いかにストレスを感じずに働けるよう立ち回るのがベストかな、と考えることにしている。


でも、そういうふうにしていくまでには、自分にとって理不尽って感じる相手に接しないといけない、ということになる。
イラっとしたとき、少しほとぼりが冷めたら、私は話をできるだけするようにしたり(別になんてことない内容やけど)、なんとなくその人の事を知ろうとしている気がする。
それが苦に感じない、というのもある。
自分が人に興味があるから、ってことと
自分にとって、損にはならないだろうという、妙な思い込みのせい。


それって、結構、やな人を「もうこいつ二度とつきあわない」って突き放して同じ空間にいるより、絶対に有利に動く気がする。ほんとに。
「きらいです」って態度は、結構むき出しになるし、そんな風にむき出されてたら普通、人って不快に感じるはず。
…まあ、別に突き放していたところで、困る事もないのかもしれない。

けど、愚痴とかどうせ言うわけやし、結局それって、他人にストレスを回してるって感覚なわけで…私にしたら。
せっかく、そばにいる人なんやったら、その人のことを知る楽しみを発見すればいいのになあ。



少し話は違うけども、恋するっていうのはその最たるものなんじゃないのか。
その人のことを知るってことに、ものすごいエネルギーを使うし。一喜一憂して。