一緒にいるの、楽しい

職場にて
後輩ではあるけど、人生でいうと先輩の(もしかしたら、お母さんくらいっていってもおかしくない)お姉さんに、仕事の話をいろいろしてもらった。
どういうスタンスで仕事をすべきなのか、とか、こんな人もいるってこととか
お姉さん自身がどういう仕事をしてきたのかとか
かなり勉強になるし、やっぱり私も惰性で仕事してたらあかんなってのを強く再認識する。


そのお姉さんがまだ就職してくる前、お店をチェックする為に、施術を受けにきたことがあった。
接客も施術も偶然、全部私が担当していて、かなり緊張した記憶もある(チェックシートみたいのがあって、ぺけを付けられると、なにかと面倒なので、いつも以上に会社のマニュアルに意識がいってしまう)
「かざりけないし、さわやかだったし、ここなら働けるなーって、あんたみて決めたんだよー」
って!うれしいことに、言ってもらえた。
なんとなく、今働いてることの、若干でも意味みたいなことを思えるというか
仕事への意識っていうのが最近、ぼんやりしてたから、その意識を軽く叩いてもらった感覚というか
妙な喪失感みたいなものはなくなった。


でもまだまだ、私はどうしたいかを、刹那でなく考えないとな。



今日は甘えたくもあり
様子をみながらも、ぎりぎりのところまで甘える。
やっぱり「○○したいな」「○○しない?」って、声に出すのは大事。
一緒にいたいとか、そういうの、過信してたらなにもならへんなー。
たとえば、よりむなしいと思うのは、なんとなく一緒に寝て、成り行きでそういうことして、したとしても気持ちは曖昧ちゅうか、具体的な言葉になれないまま宙をふぁーっとしてるような
そういうのは一緒にいることに疑問を感じるようになるしなあ。
「言葉にできない」ぐらい「どう」なのか、っていうことよなあ。


そんなことを思うさなか、会いたいとせびっていたら
「行けなくもないけど、会っても、そんなに喋れないかもしれないからなあ」
って、いう、そう言われるのが、逆にいいなーとか思ってしまう不覚。
色々喋るのが楽しいし、わたしたちには重要で、分かり合うのには不可欠ってことは、共通項みたいでいいなーていう。


私もやっと、焦らないでいられるようになってきた。