★習作という名の雑記かもしれない、っていう嘘かもしれない。

久しぶりにがたがたとテーブルのお茶をこぼし、それでもそれに気づいて「あああ」とかなんとかいってかたしたのは、もう朝の9時とかだった。
2時間前の7時には、わたしたちはもう一度抱き合う。
3時間前の4時には、照れながら甘い声を出す。
1時間前の3時には、雑談をしていた。次第に手は、様子をうかがうように、色々な空気をきってうねうね動いていただろう。
外はずっと暗いままだった。



物音一つ聴こえなかった。


息を吸う音しかしない。吐かない、体は酸素しか残らないかもしれない。
動物の力でしか、相手のことを感じることができない。
その方がしっくりくる、という点で、わたしたちはうまくいっている。


だから、テーブルのお茶をこぼしたって、まったく気づくことはなかった。
こぼれているあいだわたしたちは、動物だったのであり
そうすることでうまくいっていたからである。うまくいっている時間がただそこにあったからである。