花火と休日出勤、不動産

今日は、休みの日やったのに結構な出勤の予定を組んでしまっていたのに加え、緊急事態の為に結局普通に出勤したのとかわらないくらい働きにでてしまった。
恋人と、不動産やさんに行こうと言っていたのに、なんとなく変な感じでしか行けなくて、ものすごく申し訳ない気持ちになる。


仕事が入ると、しんどいのに結構抑制がきかなくなってしまう癖、みたいのがある。
学生の頃に音響の仕事をしてた時も、舞台と舞台の少しのオフの間にがーん!と倒れて、救急にかかりにいったりしてた。
自分のからだのことに、見向きもしなくなってしまう。
それでも、精神力があればなんとかなるもんですな、人間。
でも、倒れるけど。



今日も、勤務の終盤にさしかかった時には、火照りとかむかつきとかがあったりして、なんで今ここにいるのかとか、何分たってんのかとかがもう分からなくなるような感じになってた。



けど、終業後は後輩たちと花火。
たのしい。


けどやっぱり、現実的なものごとの考え方に微妙なズレなどが生まれてきていることは感じる。
それは私が今直面していること…恋人と生活したいと考えていることなどと多いに関係があると思う。


いかに自由に生きるか、好きに生きるか、みたいなことを後輩は言っている。
私はあまりそうは思わない。
いいなあ、とかは思うけど。
私は、この人と楽しく生きられたらいいな、みたいなことがいい。
その差は、行動の責任が自分だけなのか、もしくは
結婚やコドモ、併せて考えるべき家族、というところから生まれる責任をも、なのかっていうとこにある気がする。


いつか私は母親になりたい、と思うし、そうなると自ずといろんな責任が生まれる。
その責任を負うことに、しあわせと感じるのではないかと妄想しているので、


…でもその「妄想」ということすら「妄想」ということに済まされない現実味を帯びてきている(年齢のこと、今の現状、金銭のことなどを思うとね)


好きに生きる、ということと、将来を思うことのいいと感じる部分、違和感を感じる部分、それぞれあるけど、今はとにかく生活するぞ、と…
自分のいいと思う感じで。恋人との生活と自分のからだをいつくしみながら。